僕が語れることとは何だろう?

 今日も年始休暇継続中。家族サービス三昧の一日。来月4歳になる娘の遊び相手。買い物のつき合いなどなど。先月の忙しさによる累積された疲れもあるのか、子供が寝た後も気力がでず、ボーッとテレビを眺めて過ごす。

 何時誰から聞いたのか思い出せないのだが、脳が一番休んでいる状態、すなわち「考えていない」状態になるのは、テレビを見ている時がそうらしい。睡眠時は、夢を観るなど脳にとってはさほどリラックスした状態ではないらしい。この説は自分にも身に憶えのありのところがある。昨年後半から仕事が忙しくなり、そのころから夜はほとんどテレビ漬けで、しかもチャンネルをコロコロと替えて観るのが大好きになっていた。そのせいで常時睡眠不足になったぐらいだ。

 このはてなダイアリーを始めたのも、この状態からの脱却への良いきっかけになるのでは、と考えたからだ。

 とはいえ未だに何をどう語ったものか?ありがちのスタイルではあるが、さまざまなニュースについて「何か」論評するというブログも考えたが、一般的に言って、僕らの知りうるニュースは、良くて事実の一側面的なもので、事実そのものを表したわけではない。そんな事柄について論評して判った気になるのが怖い。
 実際のところ僕のような人間がこのような場所で出来ることと言えば、「問い掛け」しかない。なぜぼくはここいて、なぜ誰かを愛し、なぜ憎むのか、そういう「問い」だ。

 自分の存在について「問う」ことに意味があるのだろうか?
 それも「問い」なのだ。