リチャード・マシスン「アイ・アム・レジェンド」について

 あまり気難しい本は読みたい気分ではないということで、最近は以前から読みたかった娯楽的作品を図書館から借りている。この本はそんな1冊だ。

アイ・アム・レジェンド (ハヤカワ文庫NV)

アイ・アム・レジェンド (ハヤカワ文庫NV)

 だいぶ前にゾンビ映画について熱く語ったコラムを読み、その時知った作品だ。ゾンビ、吸血鬼ものSFの古典らしい。そのコラムによると、ゾンビ映画は世代間とか異文化などの対立を象徴するものと捉えることができるらしい。自分の周囲に訳の判らない人で溢れていく恐怖、というわけだ。その観点が面白くて、ゾンビの映画や本に興味を持つようになった。スプラッター映画は苦手なんだけどね。
この本は元々「地球最後の男」というタイトルで、僕も最近までその名前で記憶していた。でも図書館に予約した時に、知らない間にウィル・スミス主演で映画化されていて、タイトルも映画に合わせて、原題をカタカナ表記した「アイアム、レジェンド」に替わったいて、本当にびっくり。世間と縁のないところで生きているのに、結果的に流行りに乗ったようなことをしてしまった。
このSFは、原因不明の疫病により自分以外の人間が全てゾンビの吸血鬼になってしまって、世界でだだ一人取り残された男の物語だ。孤独と恐怖、未来の希望も持てない閉塞的状況のなかで、図書館から医学書集め学び、探し出した顕微鏡でゾンビの血を調べ、昼間眠っている彼等を処分するなど、孤独な戦いをし続けている。
こんな前提だから、この話は陰鬱で凄惨だ。明るくなりようが無い。希望がもてそうなささやかなエピソードもあるけど、期待は裏切られる。そして話は意外な、「何ですかこれは!」と突っ込みたくなるような身も蓋もない結末を迎える。この結末には納得しない人も多いのではないか?カタルシスの無いこの終わりに、僕もいささか戸惑った。が、すこし考えると、この結末も苦い中にも味があり、なるほど古典というだけある、と考えるようになっている。異なる価値観などにより自分だけが疎外される世界に仮に放り込まれたら、自分はどう振る舞うのか?その世界に対し恐怖や憎悪しか感じなければ、この小説と同じなのだなぁ、それはそれで悲しいものなのだなぁ、などと考えたりした。それなりに色んな示唆をのあまり映画向き与えてくれる作品ではある。読んでみてわかることだが、この本のタイトルはなかなか意味が深い。