周囲と噛み合ない自分らしさ

疲れが溜まる一方で

 相変わらず睡眠時間を削る日々が続いている。テレビチャンネルのザッピングを止め、テレビをそのものを見なくなっても先週は午前2時より前に寝ていない。ましてや42キロのバーベルのベンチプレス等の筋力トレーニング、エアロバイク20分、トレッドミル20分のメニューを週2回も行っている。そしてそのトレーニングの合間に宴会が2回だ。これでは確かに疲れるわけだ。さらにこの週末は、カミサンの育児仲間5家族とイチゴ狩り、そして今日の午前中は車の洗車、娘といっしょにスーパーへの買い物、午後は近所の公園で娘の縄跳び練習の付き添い、何となく流れで、娘といっしょに近所の子供達とお砂場遊びなど、まあそれなりに色々とあったわけで、娘と公園から帰る途中、西日のまぶしさと暖かさに春が近いと感じた今日一日だった。あぁ疲れた。
 娘は5歳なのだが、共に入浴中彼女から、「人形遊び中、眠らないで欲しい」とういう動議があったので、「パパが昼ご飯を早く食べて、娘が食べ終わるまでの間昼寝しててよいか」と提案し、継続審議とあいなった。やれやれ。

職場の宴会で浮く自分

 先週は職場のメンバーでの飲み会が2回。飲み会前は、最近現場で色々問題があって沈んでいたのだが、こちらもやる気を見せたいと思って張り切っていたのだが、終わってみればただ徒労感しか残らない。とりあえず宴会は上手く乗り切った。皆に合わせて盛り上げたつもりである。が、しかしだ。場が盛り上がる毎に醒めていく自分が自分の中に内在している、といったらいいのか。ジムに行き、健康を維持し、ピアソラとかカプースチンを聴き、本を読み、週末は家族サービスをする。そんなヤツは確かに自分しかいないのは判っている。せめて1つ2つでも重なれば互いに刺激し合う会話もできそうなのだが、いまの職場の人たちとは仕事以外になかなか共通の接点が乏しいのだ。例えば、今の職場で子供がいるのは10人中1名もいない。そもそも育児の話題すら上らない。その他、ジム通い、音楽、読書もろもろ皆の理解の範囲外にあるらしい。我ながらこの事態に茫然としている。この「自分」というものに対峙しなくてはいけない。この年になって、周囲からはみ出す自分の置き場所に悩むとは・・・