国家というもの、個人というもの

 娘がカミサンと遊んでいる間に、池澤夏樹のエッセイ「異国の客」を読んだ。この中の「緯度と夜、EU憲法、フロランスとフセインの帰還」という章のなかで、イラクでの日本人NGO活動家3名の人質事件について、「政府は拘束された3人を非難し、ジャーナリズムは3人を支援しなかった(この方針について政府とマスコミの間で早い段階で密約が成立していたと「週刊現代」は報じた)」と書いてあったが、これって本当なんだろうか?
 実はこの事件にはちょっとした思い出がある。人質となった人達の家族が記者会見で涙を流しながら助けを請う姿を、職場の休憩所に置いてあるテレビで見ていた時のことだ。どう思います、と聞かれて
「親として子供を当然じゃないの、子供を育てるのに親はどれだけ労力かけてると考えればね、『死なせてたまるか』って気持ちになるのも理解できる。」てなこと答えて、
「子供を持つとずいぶん真っ当に変わるもんですね」と冷やかされたことがあった。
その後、政府やらマスコミが彼らを非難してると知って、職場の人と飲んだ時に
「どうやら僕は彼らのいう面倒な部類の国民らしい」とぼやいたこと記憶している。
 またその後の、その3人が解放されたと知って、職場の休憩所での話題として
「助かってまあ良かった」的な感じで話したら、これまた後で彼らが世間からバッシングを受けてると知って本当に驚いて、
「変わってるヤツと言われるのには慣れているが、この件に関しておかしいのは本当にオレなのか?」と、これまた飲み屋で嘆いていたのだよね。
 池澤夏樹のエッセイでは、池澤夏樹自身もこの事件を機に日本社会に対する見方が変わったというが、あれからこの社会に何かしらの変化があったのだろうか?それは好転か、それとも暗転か、どうなのだろう?

 今日の日経新聞の記事の中に「やさしい経済学ー名著と現代」というコラムがあって、国際日本文化研究センター教授の猪木武徳トクヴィル著の「アメリカのデモクラシー」を紹介している。トクヴィルによると平等は二つの道へ通じ、一つは人々を独立心旺盛にし無政府への向かわしめる道、もうひとつは、ゆっくりと知らず知らずのうちに隷従へと向かう道である、ということらしい。

 で・・・・イラク人質事件のことから様々な思案があって、「トクヴィル読みたいなぁ」という気持ちに至ったのだけど、なんか頭の中で整理がつかず、うまく書けそうな気がしないので、その「様々な思案」のことはここでは省略。まだまだですね、僕って・・・


アメリカのデモクラシー (第1巻上) (岩波文庫)

アメリカのデモクラシー (第1巻上) (岩波文庫)