続・読書はお休み、その他ボルヘスの感想

 今日も読書はお休みだった。でも僕はお休みではない。仕事は休みでもパパには日曜といえど家族のために働くのだ。午前中はスーパーに買い出し、午後は雨が上がったので、子供を図書館と公園に連れて遊ぶ、図書館は本来自分が予約した本を受け取りにいくのが目的だった。ついでにおもしろそうな本を物色するつもりだったのだが、娘の絵本選びのお付き合いに時間を取られ、自分は予約本を受け取るだけしかできなかった。
 彼女は最近何故か紙芝居がお気に入りだ。「あんぱんまんとかびるんるん」が特に好きで何度も借りている。そういえば絵本でもしみずみちおの「ちいちゃん」シリーズにも執着している。図書館行くたびに必ず1冊と言う感じだ。でもその「ちいちゃん」の魅力は親の僕にもわからない。図書館の「ちいちゃん」シリーズの絵本が最近新しくなった。司書さんがいうには、これまでの本が傷んでいたこと、また良く貸し出される絵本ということで買い直したらしい。良く貸し出されるのも驚くが、まだ再版されていることもびっくりする。子供にしか見えないオーラがある絵本らしい。
 ともあれ、今日もまた読書のヒマなしである。リアルワールドを生きるためには読書ばかりもしてられない。収入を得るためにつまらない仕事もしなければならず、そのためには付き合いたくもない人と付き合わねばならない。とにかく稼いで家族みんなが飢えることなく日々を健康に生きて、やっと人生を楽しむゆとりがあるというものだ。でもなかなかゆとりが持てなくて、忍耐の日々が続いているのだが。

 実は最近ボルへスを読みながら、小説の「可能性」を考えていた。ボルヘスについて自分はアカデミックに語れるほどの力はない。正直言えばよくわからない。でもこの短編から何かしらの意味を僕は感じ取っている。今ここで読んでいる読者にボルヘスは問いを発している。あなたは一体何なのか、ちゃんと考えているか?そう考え、感じとらなきゃ人間ではない。むろんボルヘスは直接そんなことは言っていない。ある事象を小説という形で示すだけだ。でも「読者(すなわちあなた)」の向き合う態度、姿勢、すなわち「意思」により、様々な解釈を生み、その「読者」がその世界を拡大することができ、望めばそこから新しい何かを生み出す事ができる。そんなことを考えた。

 え?「だから何?」だって、だからね。答えは君が知ってるってことですよ。やれやれ。

 まだまだ、読み終わってないんだよね、これ・・・

伝奇集 (岩波文庫)

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 このシリーズがロングセラー・・・らしい

ちいちゃんのさんぽ (ちいちゃんえほん)

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