旅行記というもの

 買ったまま積んである本も沢山あるし、この数日、職場の同僚、昔からの友人と色んな人が面白そうな本を貸してくれて、しばらく読書のネタには困らない感じ。だた何時読めばいいのかという悩みが残る。ホントどうしよう。
 とりあえず、返却期限間近の、図書館から借りている藤原新也の「西蔵放浪」を読もうと思い、昨日から読書開始。最近は「この人」のせいでチベット関連の書籍を読むようになった。とは言ってもこれで2冊目なのだが。1冊目の河口慧海の「チベット旅行記」があまりにも凄すぎて、すぐに次ぎのチベット本を読む気持ちにならなかったほどだ。
 河口慧海は明治時代の日本のお坊さんで、彼の「チベット旅行記」は埋もれている経典を探しに、当時鎖国していたチベットに潜入するため、ほとんど徒歩(!)でヒマヤラを越えて行くという、冒険記的な要素もあって、特にヒマヤラ越えの記述は感動的で、読んでよかったと思える本だった。
 藤原新也の「西蔵放浪」の方は、なんというかね、河口慧海と比べるのは質が違うし、うまく評価できない。こういういわば旅行記のようなドキュメントは、書き手の主観というフィルターを通して、旅の情景を読み手がイメージして疑似体験をして楽しむもの、とするならば、藤原新也のフィルターはかなり主観が濃い。むろんそれが面白いという人もいるだろう。藤原新也の文章は情感たっぷりで、それが魅力という人も多いと思う。ただ今日の僕は、その濃いフィルターが邪魔で仕様がなかった。僕が欲しかったのはチベットの社会とか風俗などのリアルな知識だった。旅する人の旅先における心象風景ではない。藤原新也は旅で出会った情景を基に「私小説」が書きたかったのかもしれい。それはそれで間違いじゃない。むしろ面白いという人も結構いるはずだ。ただ僕のメンタルがそのノリに乗れなかったというべきかもしれない。ただ文章は大したものだと思う。こっちにそれを楽しむゆとりがあれば・・・


西蔵放浪 (朝日文芸文庫)

西蔵放浪 (朝日文芸文庫)

チベット旅行記〈上〉 (白水uブックス)

チベット旅行記〈上〉 (白水uブックス)

チベット旅行記〈下〉 (白水uブックス)

チベット旅行記〈下〉 (白水uブックス)