我、闘争領域拡大中

 ついこの間までは睡眠不足による精神不安定状態が続いていた。職場での唯一の癒しはペン習字だ。自分の字の下手さを克服するつもりで始めたペン習字だったが、やってみると心を落ち着かせる効果があることがわかった。難しい字体を筆順に注意しながら丁寧に万年筆で書いていると、雑念が消えて穏やかな気分になっていく。当初はボードレールの詩を書き写していたが、最近は馴染みはあるが普段は書くことが無い漢字を書いている。陵辱、淫乱、亀頭、陰茎、膣、嬲、鬱など。このような文字を書くこと自体、かなりおかしなことと思われるだろうが、ペン習字として丁寧に書くことに集中していると、形体のみ意識されその意味を忘れてしまう。仕事の合間、休憩室の立ち飲みテーブルの片隅で、鬱とか膣とか嬲とか繰り返し書きながら、ささくれ立った気分を癒す。・・・これはある意味、イッてる証か・・・。
 そんな僕にとってミシェル・ウエルベックの「闘争領域の拡大」のストーリー展開はいささか「甘い」。こちらは彼の言う「闘争領域」で20年も戦っている。彼に言わせれば「こんな世界では、真っ当な感性の持ち主なら真っ当に生きていられるわけがない」のだろうが、こっちはまだまだ戦闘中だ。映画「プライベートライアン」で例えるならば、この小説の主人公は「アパム」未満だ。生きるためには震える手を押さえつつ戦うしかないのだよ、トム・ハンクスが演じた兵士のように・・・
 とはいえ、この高度資本主義における悲劇的存在として「純粋に愛されることを望んで行動する容姿醜悪な人」を上げたのは、なんとも目の付けどころがよい。僕らは、小説で、映画で、TVドラマで、コマーシャルで、様々な形体の「愛」に遭遇するが、この世界でそのような愛に遭遇するのは稀だ。「望まれる形で愛されたい願望の達成こそが幸福」というメッセージこそ、われらが戦っている敵が実施している戦略の一つだ。だからこそ、そこまで気付いているならば、もう少しこの主人公の戦いが見たかった。
 ただこれはミシェル・ウエルベックの1994年の作品だ。最初の長編小説であり、これからこの作家がどのような変遷を辿ったのかを知る上では重要な小説には違いない。これが始めなら、その後は結構期待できる、と思った。

闘争領域の拡大

闘争領域の拡大