満身創痍

 ジムのプールの水を鼻から吸い、それで雑菌が入ったせいだと思うが、このところ鼻の奥が腫れていて、よく詰まる。かなり粘りのある鼻水で、鼻をかんでもなかなか出てこなくて、なんともすっきりしない。それに加えて、背筋を痛めたのか、ささいなことでぎっくり腰になりそうな違和感が背中にある。また右足の親指は深爪でちょっとした刺激で物凄く痛い。満身創痍、という感じだ。

 先日無印良品でノートを買った。将来的に手書き手帳を持つための練習用として使うつもり。無印良品にしたのは、値段が安いのとデザインの「素っ気なさ」が気に入ったからだ。なぜ手書き手帳かというと、5月から職場の移転があり、新しい場所では、パソコン使用にかなりの制約が課されることが決まったからだ。外部メールはさることながら、インターネットへのアクセスも不可。処理の監視を行うソフトがインストールが義務付けられていて、それにより、パソコンの操作が全ててモニタされてしまう。職場のデータを持ち出されないようにするためとはいえ、まるでジョージ・オーウェルの「1984年」*1的だな。ともあれこれまでのような、
会社で仕事の合間になんとなくネットをチェックとは行かなくなるので、そのため新しい気分転換方法を考えた末、「手書きによる文章書き」を思いついたのだ。
 字を手書きで丁寧に書くということは、不思議と心を落ち着かせる力があるようだ。また、改めて漢字の書き順も勉強になるし、結構面白い。意外と簡単な字の書き順が間違って憶えていたり、新鮮な発見もある。

 今、エマニュエル・レヴィナスの「実存から実存者へ」*2を読書中。哲学書としては読みやすいが、一字一句気が抜けないものであることは確かだ。ある程度まとまた時間を使って読めるといいのだが、通勤中の約30分の読書では細かすぎると思う。話の佳境で中断せざる得ない事が多く、一旦間を置くとそれまでの内容がわからなくなるのだよね。でも、哲学書にしては硬質さは薄く、読者に対し優しく、慈しみの気持ちがあるように思えるのだがどうだろう?

 そんな哲学書に苦戦している状況なのに、図書館からトム・ルッツの「働かないー怠け者と呼ばれた人たち」*3を借りてしまった。まだ読んでいないのだが、働かない人について500ページ近くも色々と論じている本だ。読むヒマがあるのか不安だ。GW中は既に家族サービスの予定がぎっしりというのに・・・
 
 鼻風邪や腰痛になってるヒマもなし、ということか。

*1:もはや古典か?

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

*2:

実存から実存者へ (ちくま学芸文庫)

実存から実存者へ (ちくま学芸文庫)

*3:

働かない―「怠けもの」と呼ばれた人たち

働かない―「怠けもの」と呼ばれた人たち