風邪と映画「バベル」の話

 この2週間ほど、鼻の奥が腫れていて詰まった状態が続いていたが、木曜日頃からその腫れた状態が喉に降りてきて、せきが出るようになった。それでも大したことは無かろうと、いつもと変わらぬ感じで仕事して、ジムに行っていた。でも金曜日の夜に突然悪寒がして、その夜は物凄い寝汗をかいて、土曜日の日中は咳と虚脱感でふらふらとなっていて、その日は夕方6時頃に布団に入って、途中1回だけトイレと水分補給で起きただけで、今朝の10時ぐらいまでの計14時間近くも寝てしまった。これほど寝たのはここ6、7年間無いことだったので、自分でも本当に驚いた。娘もカミサンも咳と微熱が続いているらしい。今日は外出は自粛。家の中でのんびり過ごす。
 
 映画「バベル」を観てきた。この映画は昨年のカンヌ映画祭についてネットを検索してるときに偶然その映画を紹介するサイトを見つけたのだ。そのサイトではブラッド・ピットケイト・ブランシェットの最初のシーンが動画配信されていて、字幕もなくて正直なところ何を語っているかはあまりよくわからなかったのだが、二人のいかにも「悲しみを携えた」という演技に見入ってしまった。そのサイトから、なぜか役所広司も出演している不思議なストーリーと知り、その時以来、日本で公開の時は是非とも映画館で観てみたいと強く思い続けていた。配給会社の戦略か、かなり待たされたね。それで、妻子ある身としてはなんとなく一人観に行くのは気が引けて、金曜日年休をとり、子供が幼稚園に入ってる間にカミサンと咳をこらえながら観に行ってきた。

 この「バベル」については賛否両論あるようだけど、自分は結構楽しめた。他愛無いことから大事件となり、世界でいろいろアタフタする事態が起きている。その中のモロッコ、メキシコとアメリカ、日本のある事例をすくいあげて並べてみたという感じだろう。この映画監督は映像的に「異なるさまざまなもの」を並べてみたかったのではないかと思う。サンディエゴのアメリ中産階級の家から、メキシコの田舎町の風景の変化、比較的生活に余裕のあるツアー客を乗せた観光バスが、モロッコの村にやって来るシーン。日本の場面では、音のある世界と音のない世界か。「あのシーンなんかおもしろかったよね〜」と後で語りたくなるようなシーンが結構あった。それに、それぞれの場所で、ブラッド・ピットケイト・ブランシェットをはじめ派手さはないけど出演者は皆いい演技していたと思う。モロッコの羊飼いの子供たちの演技などには監督のよ演出もあったのではないかと推察している。菊池凛子扮する役は、その存在の可能性が疑われているようだが、これはねえ・・・ある種のファンタジーととらえて赦してもいいのではないか、と思っている。甘いかな?

ただ、言語によるコミュニケーション不全がテーマとされているらしいが、それを語ってるようにはあまり思えなかった。むしろこれは映像的味わいを楽しむ映画ではないかと感じている。音楽も大変よろしい。個人的にはモロッコの村からヘリコプターで出発する映像が気に入っている。

 

 とはいえね、映画「バベル」について、一番衝撃的だったのはカミサンの評価が「ボロクソ」だったことだ。

「おきる事件も2時間ドラマ程度で何の含みもないし、登場人物もまとすぎてつまらないし、話の規模が世界的に膨らんだだけで、事件そのものはくだらないのばっかし」とバッサリ。

同じ言語で語り、一緒に暮らしててもこれだものね。風邪をおしてカミサンと観に行ったのに・・・
バベルの塔」はあなたのそばにも建っている、てか?


バベル-オリジナル・サウンドトラック

バベル-オリジナル・サウンドトラック