バベル余波

 GW前の鼻炎になったころから数えると4週間近くも抜けなかった風邪が、ようやく峠を超えた感じで、軽い咳と若干の喉の痛みがある程度に治まってきた。またこの半年ほど悩ませられた足の深爪による痛みもかなり引いてきている。これが様々なことの好転の兆しだといいのだけどね
 実は先日、何の気なしに今までのブログを読みかえのだが、唐突ながら今かなり反省している。
 それなりに忙しい仕事していて、かつ小さい子供もいる身では、自分の趣味の時間も限られていまい、興味の対象も自分の目の届く範囲に限られてしまい、ここに書くものが偏ってしまうのは仕方が無い。でも僕は、同じような考え方や嗜好を持つ人たちと集まり、1つの言葉で10わかるような「これってアレだよねぇ」という感じの、ある種同好会的洗練の会話を楽しめる出会いのみを期待してこのブログを始めたわけではない。いささか能天気な話だが、できることならば自分の好みを超えて、「僕を知りえない人々」と「つながり」を持ちたいと思っている。このブログを読み返してみると、書き方にその意識が欠けている。むろんそれを文章に反映するのは簡単なことではなけれど、でももっと何か工夫が必要だ。

 映画「バベル」のその後の余波。
 僕は良、カミサンはボロクソと言う評価の映画「バベル」について、世の人々はどのように観たのか気になって、ここ数日ネットで感想が書かれたブログを検索して片っ端から読んでいた。便利な世の中になったものだね。でもそれが本当に面白かった。僕と同じような感想を持つ人もいたし、カミサンと同意見の人も少なからずいた。何より面白かったのは、「あのシーンがこのように感じられて印象に残った」というようなこの映画の細部の場面の感想だ。好評不評も含めて皆さんいろんなことで様々なことを感じ、思い、考えているのだなあ、と感心している。例えば、モロッコの村からヘリで立ち去る直前、ブラピが財布から何枚かの紙幣を取り出し、世話になった通訳兼ガイドの青年に渡そうとするシーンがある。これについては、もし僕が彼の立場なら同じことをするだろうな、と思っていたのだが、ある人の感想に「善意を金で解決しようとしていて傲慢」というもあって、ちょっとビックリした。その他、いろいろ感想を読んでいるうちに、なんか映画の解釈なんてそもそも正解なんてものは存在しないのだ、という気持ちになってきた。映画の作り手や映画会社や配給会社の思惑なんかどうでもよくって、皆で褒めたり貶したり好き勝手言って、観た映画についていろいろ語って楽しめばいいのだよ。意見の相違なんてものはあって当たり前で、その差異があることで、対話が生まれ、互いに何かを学ぶことできるのではないか、とね。