心臓を貫く本の話

疲れていた本当の理由

 今週は本当に疲れていたのだけど、その理由はさまざまなことがある。でも一番大きかったのはマイケル・ギルモア著、村上春樹訳の「心臓を貫かれて」を読んでいたせいだ。職場で始業時間になったことも気付かずに読んでしまったことがあって、隣に座ってる人に「ずいぶん深刻な顔して読んでますね、その本の題みたいに何かに貫かれちゃったって感じですよ。」と声かけられたことがあったけど、本当に、正に「貫かれた」感じがする。恐るべき本だった。この本を少し読んで
仕事、少し読んで日常の雑事をこなすという日々だったけど、その時々の気持ちの切り替えが結構大変で、毎日ヘトヘトという感じだった。とはいえ、久々に読み応えある本に出会えた高揚感もあった。読み終わった今、何かが自分の中で変化したのを感じる。

なぜ「心臓を貫かれて」を読んだのか

 この本は10年以上も前に刊行されているのだよね。でも当時はなぜか読む気がしなかった。死刑囚ゲイリー・ギルモアのことは当時日本でも話題になっていて、僕も大体の知識はあったので、その人にまつわる話なら、明るい気持ちにはさせてもらえそうにない、と考え敬遠してしまったのだと思う。村上春樹の小説は好きだけど、当時は翻訳まで手を出す気にはなっていなかったせいもある。

 で、なぜそれを今見る気になったかというと、ちょっと前にテレビでこの映画をやっていて、途中から見たのだけど、なかなかいい作品でね。ゲイリー・ギルモアを、「シン・レッドライン」で上官に逆らって本国に送還されてしまう中隊長を演じていたイライアス・コーティス、母親役を「フィールド・オブ・ドリームス」でケビン・コスナーの奥さん役をしていたエイミー・マディガン、後に「心臓を貫かれて」を書くことになる弟のフランク・ギルモアをジョアンニ・リビシという、まあ皆日本では「誰それ?」って感じの俳優たちが出演していたのだけど、皆よい演技をしていて、今思えばこの3人が演じたからこそ、実在したギルモア家の描いたとされる原作に興味をもったようなものだ。そしたら、ふらりと立ち寄った図書館に、たまたま「心臓を貫かれて」があってね。これも何かの縁かなと考え借りてしまったと言うわけだ

ゲイリー・ギルモアについての記憶

 
 ゲイリー・ギルモアは1977年に死刑になったのだが、そのニュースは日本でもよく報道されいていた。アメリカで死刑が10年ぶりに復活して最初の人が、救いようの無い犯罪を犯した者ながら、不思議と好感のもてる人物で、しかも自ら銃殺刑を望んでいるということで、かなりセンセーションな取り上げられ方をしていた。どんな内容かは忘れてしまったけど、月刊プレイボーイ日本版にもゲイリー・ギルモアのインタビューが掲載されていて、僕もそれを読んだことがある。その記事に彼の写真は30年経過した今も不思議と記憶に残っている。そのインタビューから受けた不可解な印象も忘れられない。繊細で孤独で荒んでいるだけという感じの人が意味なく2人も射殺するという残虐性をもっていたということ、そして死刑を望んでという事象そのものに、当時中学生だった僕にはまったく理解出来なかった。

 イライアス・コーティスという俳優は、検事とか弁護士とか教師とかの役が似合いそうな人だけど、映画で内に怒りを溜め込んだ深い傷を抱えたゲイリー・ギルモアを演じていた。この人が演じたのがベストなのかはわからないけど、品位と知性が感じられるゲイリーになっていて、それでなぜかまあ30年前の事件を思い出すことになったわけだ。

 なんかいまさりげなく僕が中学生のとき月刊プレイボーイ日本版を読んでいたことを告白してしまった。まあ当時は凄く人気があって中学生でも読むのはあたりまえだった。(嘘)

てなわけで本「心臓に貫かれて」についての感想

 この本はゲイリー・ギルモアの末弟マイケルによって書かれた、呪われた家族、ギルモア一家の物語だ。ゲイリーの父は詐欺師、母は敬虔なモルモン教信者一家からのドロップアウト。その時に出会い逃亡のような流浪の中で子供を産み育てていく。詐欺師を止めまともな仕事となっても、20世紀初めのおそらく今よりかなり「タフ」でないと生き残れないような時代を、犯罪に関与しながらくぐり抜けてきた男である父親は、家族に対しても粗暴に振る舞うようになる。ゲイリーは絶え間ない父と母の喧嘩と父親からの虐待の中で育ち、やがて本人自身も暴力と犯罪の世界にのめりこんでいく。

 正直なところ、この本をうまく要約することは難しい。この本にある様々なディテールが、ギルモア家族同士の愛と憎悪相反する思いの存在を表している。暴力を与えながらも情愛を持っていて、憎しみを抱きつつも敬意を捨てられない。それが感じられるだけに、この家族の悲劇、ゲイリーの人生が哀しい色合い見えてくる。

確かに彼は残忍な犯罪を犯して死刑となったし、それは同情に値しないこととは思うが、この本を読むと、ゲイリーはその方向に駆り立てられて追い込まれ、絶望し最後はその結末に自ら飛び込んでいったかのようにも感じられる。

 また、これはゲイリーだけではなく、荒んだ家庭で育ったゲイリーの兄弟達のストーリでもある。過酷な体罰を受けた兄達とある事情により父に可愛がられてそだった末弟マイケルの関係、父親の死後の生活、死刑囚の兄を持つという経験、この本を書くまでの経緯など、引き込まれるよう読んでしまった。

 「一生に一度は読むべき本」というリストがあるなら、ぜひその1冊としていれたい本だ。気合いをこめてぜひ読んでほしい。

かつて子、今親として

 自分の場合は母親によく叩かれていたね。今はかなり老けこんでしまってただの老人になってしまいっている。たまに実家に帰ったとき「できた息子」らしい優しい気遣いをすると嬉しいそうな顔をするのだが、こどもの時に抱いた感情というのはなかなか染み付いて離れないみたいで、なんかね、そういう時って昔された仕打ちを思い出して「けっ」てな気分になってしまう。「心臓に貫かれて」を読んでそんな自分を再認識した。

 だからこそ、伝えたいことを伝える難しさを感じている。当然のことながら、体罰というのは伝えたい事以上に、伝えなくてもいメッセージも与えてしまうリスクがある。正直自分が受けた仕打ちを自分の子供には与えたくない。とはいえこちらも人間で、不機嫌なときもあるわけで、つい怒鳴ってしまう。自分のやりたい事を見つけ、気心知れた友なり伴侶なりと楽しく生きてもらえればそれでよいのだが・・・

蛇足

 実は映画の「心臓をつらぬかれて」を観たのは後半の40分ぐらいでね、ゲイリーの父のシーンは観る事ができなかった。子供に激しい暴力、ベルトなどでバシバシと狂ったように殴るらしいのだが、そういうことをするというのは、本を読んで知ったのだ。映画では父親役をサム・シェパードが演じていたと後で知ったときから、その虐待シーンがどのような映像になっているのか気になってしょうがない。もう一度放送しないかな

心臓を貫かれて

心臓を貫かれて

心臓を貫かれて 上 (文春文庫)心臓を貫かれて 下 (文春文庫)