最近の本から永遠の問題について

まだまだ本調子には遠く

 なんかまだ疲労感がぬけない。子供が寝た後から寝るまでが唯一の自由時間となるのだけど、昨日一昨日の土日の夜はケーブルTVを3時間あまりザッピングして無為に過ごす。まあ最近こんな風に時間をつぶすことが多くなった。

今日は仕事が終わってから

 職場のある中目黒から渋谷駅まで2kmを25分程で歩く。その後自宅そばのジムのプールで1kmを50mで刻みながら、30分ほどかけて泳ぐ。昨年末に背中を痛めるまでは、1kmは20分ほどで一気に泳げたのだけど、今は100mぐらい泳いだだけで肩の筋肉が悲鳴を上げてしまう。まあでも刻みながら30分で1kmまで泳げるようになったのだ。良い感じで体調が戻ってきているといういい感触をつかんだ。

最近購入した本について

エマニュエル・レヴィナス存在の彼方へ

存在の彼方ヘ (講談社学術文庫)

存在の彼方ヘ (講談社学術文庫)

 過去のブログにも哲学書について書いているが、はっきりいって哲学書を読んで理解できるほど、僕の頭は良くない。通勤電車内の読書なんかで理解しようなんて、無茶以外の何ものでもないと思う。それでもこの本を購入し、1文1文ジタバタしながらも噛み締めるように読もうとしているのは、僕のなかでわき上がる好奇心からくるパワーによるものだ。
 科学も進歩して、宇宙とか人という生き物について様々なことがわかってきている。しかし、「なぜここにいるのが僕なのか?」という問の解はまだ謎だ。むろんそれを神の為せる業として、神秘の向こうに置く手もあるだろう。でもそれでも僕はその問いを消すことができない。むしろその問いがあるからこそ読書をしていると言ってもいいくらいだろう。ある意味、その問いは僕の生きる糧とも言える。

ジークムント・フロイト「エロス論集」

エロス論集 (ちくま学芸文庫)

エロス論集 (ちくま学芸文庫)

 これと言った根拠があるわけではないのだが、人間のあり方を考える上で、エロス、リビドー、性衝動はかなりの力を持っているのではないか、と経験的に感じている。人間は社会的集団を組織し生きているという意味では理性的ではあるけれど、人間の感情は動物として本質的な野生性に左右されやすい。そしてその野生性のもっとも根源的本質的な部分が性だと感じている。理性の歴史はまだ浅い。そういう意味では僕らは本質的に野生的なものをまだまだ捨てられない。フロイトの学説も馬鹿に出来ない。なんて考えて購入した。まあ自分の好色を言い訳するためのネタ探しでもあるのだが・・・

とはいえ

 この本ちゃんと読むことができるのやら・・・