チ性のチは破廉恥のチ

 今回は2冊。

 まずは山田風太郎の「忍びの卍
 

 ミッシェル・ウエルベックの「素粒子」という重たい本を前回読んだので、次は軽いエンターテイメントを、と思って、地元の図書館でたまたま目についたので借りた、山田風太郎の「忍びの卍」を読む。この人の作品には、忍術というより妖術と言うべき技を操る忍者がでてきたりして面白い。時代劇のスタイルを持ったアクションファンタジーと言える。
 またこの山田風太郎作品の忍術はエロス満載だ。この本には、女性の皮膚を全て性感帯に替え、性の虜として操るとか、性的結合により女性の肉体に乗り移り、その体を借りて行動するとか、これ以外にも凄い技があるのだが、説明するのがさすがの僕でも恥ずかしい忍術が満載。この人はなんでこんな作品群を書いたのか、時間があれば調べたい。
 なんとなく荒唐無稽な活劇エンターテイメントを期待して読んだのだけど、陰鬱で重厚感あるストーリーで、結末も悲劇的で、エロスだなんだ、というわりにはしっとりと読んでしまった。
 
 次は平野啓一郎「顔のない裸体たち」
 
顔のない裸体たち

顔のない裸体たち

 たまには日本の若手作家を読もうと思って、これまた図書館で借りた作品。作者は才能ある若手作家と知ってはいたが、これまで読んだことがない。今回この作品が初めて。実はこの作品については全く知識がなく、「この厚さならすぐ読めそう」と思ったのが借りた理由だ。だから、出会い系サイトで知り合った男女の性の耽溺と破滅を描いたストーリーとは思ってなかったので、読んでる時本当にビックリした。偶然とはいえ性を題材にした作品ばかり続いたものだ。通勤電車内でこのような本を読んじゃいけないね。
 とはいえ、読んで見て大変感心した。大概の作家は文体に個性があってそれなりの「におい」を感じるのだが、この本についてはそれがない。作家とは異なる人格が語っているように思える。心理学者のような人が書いた、事件の詳細な報告書のような体裁になっているのだが、作家の匂いがなくなって、そのせいで大変リアル感ある創作世界になっている。この世界に僕はかなり引き込まれてしまった。本当に才能のある作家だと思う。機会があれば他の作品も読んで見たい。