読み応え十分な2冊

ミトコンドリアが進化を決めた」ニック・レーン著

ミトコンドリアが進化を決めた

ミトコンドリアが進化を決めた

 日経新聞の書評を読んで気になり、図書館にリクエストした本だ。そもそも地球上の生物の始まりは細菌で、生物の細胞の中にある「ミトコンドリア」もそもそもは独立した細菌だったらしい。その細菌同士が取り込んだり取り込まれたして、有核細胞に進化し、大型生物になっていったとのこと。「ミトコンドリア」という「呼吸」を司る細胞内機関を中心に進化を語ったのがこの本だ。細部については話についていけないところがあった。細胞膜では陽子電子のやり取りの世界らしい。まあ呼吸については酸素を吸って二酸化炭素を出すところで、そういうことがマクロの世界で行われていることぐらい想像しなきゃね、と思ったものストレートに説明されたってねぇ、という感じだ。でもまあこの本は著名な科学者のエピソードや学会の裏話もあり、生物学シロウトの僕でも面白い個所も多数ある。元素記号なんてもう殆ど忘れたけれど、なんかね、そういうものを学んだ先に、この本にある「生命の謎」の最前線があるのだなあ、と思うと、著者を始めこの本に出てくる学者さん達が羨ましいような気がしてくる。現代生物学の入門書などを読んでからこの本を読むとよいかも

「ガラスの宮殿」アミタヴ・ゴーシュ著

ガラスの宮殿 (新潮クレスト・ブックス)

ガラスの宮殿 (新潮クレスト・ブックス)

 これも日経新聞の書評を読んで図書館にリクエストした本。20世紀初めから第二次世界大戦後までのインドとビルマを舞台にした、壮大な大河小説である。ビルマ最後の国王に仕えた女性、インドからビルマに流れたインド人孤児、ビルマで働く華僑、近代的な教育を受けたインド人女性、インド、ビルマの近代史をベースに彼らと彼らの家族の数奇な運命が三世代に渡り語られていく。
 アジアのしかも近代現代を描いた小説はそう多くはないので、このほんを読もうと思ったのも単なる珍しさだけだったのだけど、予想以上のその面白さにハマりました。主人公達がマレー半島に築き上げた栄華が、日本軍のシンガポール侵攻によって瓦解していくところなど、本当にはかなく哀しい。インドは当時イギリスの植民地で、そのあたりの心境もかなり複雑だったようなこともこの本に描かれている。読む事でアジアの歴史も学習できるのもお得感がある。日本が戦ったイギリス軍の多くはインド人だったと、この本を読んで初めて知った。ただお得感を得るには600ページ読まないといけないので、それなりの時間がかかるけど。でもそれを書ける価値は十分だと思う。

何かに翻弄されているような

 この3月で異動や私事の都合により職場を離れる人が多い。そのため、小さいのから大きいのまで飲み会が週2回以上が続いている。歳のせいか酒の抜けがわるく、飲んだ日と翌日は体調が今ひとつ。また精神的持久力も落ちたのか、「周囲の人間に話を合わせる」というのが苦痛になってきた。職場のうわさ話もよいが、自分の好きな本やら音楽の話がしたい。なかなかそのような相手がいないのだけどね。仕事の付き合いも重要なれど、その枠に収まらない自分とどう付き合うかもまた悩むところである。

まだまだ長く眠れない!

時間が足りない。

 不思議と忙しいこのごろである。仕事は落ち着いているのだが、都合により今日は休日出勤、明日も早朝出社だ。だから今夜は早く寝たい。だからかなり焦りながらこれを書いている。
 今週はあまり長く睡眠時間をとれなかった。理由はネットサーフと飲み会だ。ネットを使ってチベット問題を検索しだしたらとまらくなて、、気付けば午前3時だった。だから今日は早く眠る。あと30分以内には、多分、おそらく・・

先週も宴会2回

 先週は水、木曜日が宴会だった。しかも水曜日は終電を逃してしまい、いつもと違う駅からタクシーに乗って帰った。寝たのは3時半だ。明くる木曜日も飲み会で、寝たのは2時近くだった。金曜日はジムに行くつもりだったけど、さすがにキャンセル。だがその日も早く寝るつもりだったけど、チベットの暴動のニュース検索にハマり、以来あまり眠れていない。我ながら呆れる。だからこそ今夜は早く寝ると決めた。

音楽に目覚めたけれど

 音楽に目覚めたものの、音楽を聴くほうに夢中で、なかなか本を読む時間がないのが哀しい。
 今読んでいるのはこれだ
 

ガラスの宮殿 (新潮クレスト・ブックス)

ガラスの宮殿 (新潮クレスト・ブックス)

 
 久しぶりにスケールの大きな大河小説である。

都合により今日はここまで

パイプオルガンはいいね

 金曜日は思うところがあって会社を休み、東京オペラシティで昼に行われた、無料のオルガンライブを聴いてきた。生でパイプオルガンを聴くのは初めてだか、大変よかった。ヴィエルヌ、という作曲家の作品が荘厳でよかった。
 やれやれ、また浮くな、そんな感じである。

周囲と噛み合ない自分らしさ

疲れが溜まる一方で

 相変わらず睡眠時間を削る日々が続いている。テレビチャンネルのザッピングを止め、テレビをそのものを見なくなっても先週は午前2時より前に寝ていない。ましてや42キロのバーベルのベンチプレス等の筋力トレーニング、エアロバイク20分、トレッドミル20分のメニューを週2回も行っている。そしてそのトレーニングの合間に宴会が2回だ。これでは確かに疲れるわけだ。さらにこの週末は、カミサンの育児仲間5家族とイチゴ狩り、そして今日の午前中は車の洗車、娘といっしょにスーパーへの買い物、午後は近所の公園で娘の縄跳び練習の付き添い、何となく流れで、娘といっしょに近所の子供達とお砂場遊びなど、まあそれなりに色々とあったわけで、娘と公園から帰る途中、西日のまぶしさと暖かさに春が近いと感じた今日一日だった。あぁ疲れた。
 娘は5歳なのだが、共に入浴中彼女から、「人形遊び中、眠らないで欲しい」とういう動議があったので、「パパが昼ご飯を早く食べて、娘が食べ終わるまでの間昼寝しててよいか」と提案し、継続審議とあいなった。やれやれ。

職場の宴会で浮く自分

 先週は職場のメンバーでの飲み会が2回。飲み会前は、最近現場で色々問題があって沈んでいたのだが、こちらもやる気を見せたいと思って張り切っていたのだが、終わってみればただ徒労感しか残らない。とりあえず宴会は上手く乗り切った。皆に合わせて盛り上げたつもりである。が、しかしだ。場が盛り上がる毎に醒めていく自分が自分の中に内在している、といったらいいのか。ジムに行き、健康を維持し、ピアソラとかカプースチンを聴き、本を読み、週末は家族サービスをする。そんなヤツは確かに自分しかいないのは判っている。せめて1つ2つでも重なれば互いに刺激し合う会話もできそうなのだが、いまの職場の人たちとは仕事以外になかなか共通の接点が乏しいのだ。例えば、今の職場で子供がいるのは10人中1名もいない。そもそも育児の話題すら上らない。その他、ジム通い、音楽、読書もろもろ皆の理解の範囲外にあるらしい。我ながらこの事態に茫然としている。この「自分」というものに対峙しなくてはいけない。この年になって、周囲からはみ出す自分の置き場所に悩むとは・・・

カプースチンとリベルタンゴが響く夜

元気がでるカプースチン

 不思議なことに、何故このCDを買ったのか全く記憶にない。しかもiPodに取り込み済み。木曜日、今ひとつ気分が沈んでいたので職場から音楽を聴きながら2駅分歩いたのだけど、「何だこれ?」と思ってかけたのがこのCDだ。華やかで彩り鮮やかな和音の奔流が不思議と夜の街の景色に有って「人生は美しい」という気分になった。このCDを買った自分はなんて趣味がいいんだろう。そうだ、その思い上がりが今の自分に必要なのだ。

Piano Music

Piano Music

 カプースチン本人の演奏らしい。これもまた素晴らしいね。

リベルタンゴが頭の中をループする。

 子供と付き合うとどうしても童謡系の音楽を聴くことになり、それらの音楽はとても聴きやすいので耳に残り、向こう1週間の鼻歌はずっと童謡になってしまう。
しかし今週の鼻歌はリシャール・ガリアーノのおかげで、ピアソラの「リベルタンゴ」だった。ジャズミュージシャンはもちろんヨーヨー・マなどの多くのクラシックミュージシャンもこの曲を演奏している。Youtubeを検索したら、なかなか素晴らしいヴィデオが見つかったので紹介する。

 まずはピアノ連弾デュオ。タンゴだから男と女で弾いているのがいい。色っぽい雰囲気があればなおさらで、演奏が上手なら言うこと無しだ。ピアノが弾けるってこんなにセクシーなことだったのか・・・。自分も娘と共にヤマハ音楽教室に通いたい気分になったリベルタンゴだ。

 ヨーヨー・マの演奏は確かに素晴らしいのだけど、こちらの方々がどちらかと言えば「助平」でリベルタンゴがあっている感じだ。自分がもしもピアノが弾けたなら、リベルタンゴが上手と言われたい。

 リシャール・ガリアーノのビデオも有った

寝不足だけど復活の予感

テレビチャンネルのザッピングは治まったものの・・・・

 先週は月、水が宴会、火、金がジム。そんな多忙なプライベートにもかかわらず、なかなか夜更かし癖が治らない。ザッピングを止めた分、ネットサーフに集中してなかなか抜け出せない。ネットでニュース等をチェック→気になるキーワードを検索して再調査→さらに新たに気になるキーワードを発見→さらに検索する・・・という無限ループにハマって抜け出せない。平均睡眠時間は5時間を切っている。どうしたものやら。

10年ぶりのお姉さんのいる店

 先日水曜日、仕事上で昔からの付き合いの有る方と久しぶりの接待を受けた。一次会は小料理屋だったのだが、2次会は10年程前に良く連れて行ってもらった銀座の小さなクラブだ。そのクラブでは少々不思議な気分を味わった、ホステスさんがいる店なんてもう本当に久しぶりで、しかも知り合いの人徳で、その店の中でもかなりの美貌の女性が僕に付いてくれて、楽しくないわけはない状況なのに、なにか違和感があって今ひとつノリきれない。長期間のブランクで、この手のクラブでの遊び方を忘れてしまった感じだ。今の僕なら、銀座のホステスほどの美貌ではなくても、職場の女性から恋愛相談を受けた方がよっぽどスリリングに思える。まあ大人なので、それなりに楽しそうに振る舞ったけれどね。

イロイロあって3月になって

 孔子は40にして惑わずと言ったけど、45になってもくよくよ惑いっぱなしの僕である。職場での人間関係の問題等で色々凹んでいたが、やはり自分は自分の生き方しか出来ない訳で、まあ気楽に前向きに考えていこうと、改めて決意した次第。もうすぐ春だし、落ち込んでもいられないしね。